daemonさんのブログ『真実のヨガ』より

真実のヨガ より
http://blog.livedoor.jp/har_ich/

May 27, 2014

前記事から読んでね
(前記事 http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1003530853.html)

前記事でエナジー使ったので、こっちはお気楽モードで♪

エッセ号にUSO-800を貼り始めたのは3年乗って一度目の車検が終わってからだ。

その時すでにエッセ号は、キラリン・チューンによってドイツ車並の高剛性ボディに3Lエンジンを積んだ「似非ポルチェ」と化していた。もちろんショックはビルチュタイン、ホイルはBBS(ベリーブラックスペシャル重い)のテッティンホイルだ。

って書くと、まんまアホみたいやな‥。
でも、あんまり詳しう書いてもついて来られへん人続出だろし‥。

エッセの前はVWポロに3年間、その前はMMCスマートに乗っていた。スマートは仕事絡みで長野県を中心で3年で8万キロ位走り回った。経費と時間を浮かすための峠越えが楽しみな車だった。その前の前は、ランチア・デルタと、これまたクネクネ道が楽しい車だった。

そんな後、諸般の事情からとは言え、試乗もせずに決めたエッセは、軽くて小気味よい走り感はあるのもの、そのボディのペラペラ感やグリップしないタイヤ4つがてんでに動くしなやかで頼りない足周り、モコモコこもった音しか出ないステレオ‥、受け入れがたい点が多々あった。

そこで、何とかならんもんかのう‥と、インドの山奥に籠もって身につけた『秘術キラリン』を施してみることにしたのさ。(ふざけすぎかな‥笑)

ま、これは、いずれ、の話になるけど、USO-800を使いこなせるようになった人には『秘術キラリン』にもチャレンジしてほしいと思っている。

キラリンできるようになると、ダイヤの輝きだって持つ人次第だ!なんてことが分かって面白いんだから。

ここまで読んで読むのを止めようと思ったあなた、バカにしちゃいけないよ。だって、バカじゃなくて、真性のアホなんだから。ちなみに、インドでみんなで歌う歌はバカジャンじゃなくてバジャンだよ。間違えないようにね。

我ながら打っててアタマ痛くなってきた。おふざけやめよう。

と言うわけで、エッセ号はウソ8を貼る時すでにノーマルではなかったのだ。なので、「新車だと、どんな風になるのかな~」試してみようという気持ちだったのだ。

自分のカラーを入れずニュートラル状態でUSO-800だけの効果を体感したい。

そんなピュアな気持ちだったのだ。

ん‥?

え‥??

もしかして‥???

これって、USO-800をメッチャ薄情に試そうとしてる態度ちゃうんか?!

なんだか、愛がないよね??

ひょっとして、フーゾク行ってる感じってこんなん?

ガッ、ビョーン!

おーっと、おいらは思いっ切りウソ8を試していたようですぜ!>だんなぁ

そうか、しっくりこないのも当然だよな。

愛情のない関係になっていたんだな‥ごめんよ~!

とすぐに気づいた良い子の私は、車高を下げ、ボディ剛性を上げ、各部のフリクションを低減し、ショックの強度を上げ、ステアリング特性を敏感に‥と愛情たっぷりにキラリンしました。自分の意思の反映であるキラリンとウソ8の相性は抜群で、みるみるうちによそよそしさが消えていきました。

な~んだ。

単なるツンデレだったのね?!

ちがうか‥。 ハハ。

ホントは、味わいとは、味わう側と味わわれる側相互の関係性であって、一方が他方を一方的に味わうなんてことは有り得ない‥とか、ミラ・イースはまさしく未来図であって‥つうような話をするはずだったのだが、ずいぶん格調のないお話になってしまいましたとさ。

感じる感じないは、USO-800効果でも大切な部分だと思うので、また稿を改めてやりたいと思っています。

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1003540273.html

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我が輩の辞書に『試す』はなーい!

いったい、ここんとこ一人何役させられてるんだろうか‥と思いながら記事を書く。

こんなにも早くこのブログを始めた理由に触れなくてはならないのか!と半ばあきれ顔の私である。

私のヨガでは、「客体から切り離されちゃってて高みの見物を決め込むことができる認識主体なんぞどこにも存在しない」ってことになっている。

このことは、パタンジャリさんもシャンカラさんも言っているので、私のヨガって言うのは変かもしれないが、世間のヨガはどうも私のヨガとは違うようで、美容とか健康とか自分探しとか心と体をつなぐ(最近では体と体をつなぐ変態ヨガもあるらしい)とかおかしな事ばっかり言っているから、区別をつけるためにつけてみた。

「客体から切り離された認識主体なんぞ存在しない」

この意味するところを他人に察してもらうことは、ほとんど不可能だということは今までの人生で十分すぎるほど分かっている。

どんな理論であれ、現象であれ、それを認識してる『自分』ってのを蚊帳の外においちゃってるけど、そんなんでいいの? いいわけないだろ?って感覚が子どもの頃から頭の中で渦巻いていて、そう、それは一つの病気と言ってもいいかもしれない。この世では、こんなこと考えている奴は不適格の烙印押されて、日陰でひっそり生きていくしかないのだ。(笑

でも、不可能を可能にしたい!

キミはボクで、ボクはキミの現実を広く知ってもらいたい!

そんなワケで、ヨレヨレとブログ再開したわけだ。

前のブログでも、同じことをくり返し語ってはきたんだけど、時代が追いついていなかったんだな。今なら、USO-800もあるし、同じようなこと感じている人も増えてきたようだし。

認識の主体と客体はセットだという、この世界観(認識の有り様)が広まるってことは、あらゆる宗教が崩壊するってことになるんだけどね。甘い汁吸ってる聖職者らは存在価値がなくなって消えていくしかないわな。そうして世の中に愛が満ち、恒久的な平和に近づく。

はじめに光ありきって言うんだって、真っ赤なUSO。

誰がはじめの光を認識するの?
誰もいないなら認識されようがない。
はじめに光ありきってことが分かんない。

百歩譲ったとして、
誰にも認識されないはじめの光って何なの?

光と光を認識するものと、その媒体となるものは同時に存在してなきゃ、そんな言葉出てきようがない。

でも、そうするとはじめにあるのは光だけではない。

すっごい頓珍漢。非論理。バカ丸出し。

「神は光なり、はじめに光ありき」

分かるでしょ? ↑詐欺師のトークなのだよ。

『始まりなく終わりなく、ふと気づいた時に全てがあったのだよ』by me

仮に、アナログ時間なんてものがあるとすれば、
その現象が起こる舞台(エナジー)は、もうちょっと前にスタンバッている。

はじめに言葉ありきだって、同じ‥。

この場合、言葉ってのが、文字通り言葉だって言う人たちもいるが、インド人はオームという聖音だって解釈したり、言葉=ロゴス=秩序だってしたり顔の人たちもいる。

しかし、言葉とそれを認識するものと、その媒体となるものは同時に存在している。
①の立場なんかだと、はじめっから言葉の意味するものまでなくちゃいけないじゃないか。
もう何がなんだか‥。(笑

そして、これまた、その舞台は、も少し前にスタンバッてる。

考え出すとおかしくて笑い死んでしまう。

目の成立なんてのを考えてみるのもおもしろい。

光を感じることができない細胞しかない時に、どうやって光を感じる細胞ができて、それが目になっていくのか?

なるわけないじゃーん。

だって、最初の段階で光を感じ取れないんだよ。
光を感じる細胞を作ろうとする傾きはどこから来るのか?

もう一つ上の次元を設定するという逃げ道もあるがね。

私も、そういうもんだろうと思っていた時期もあるが、今は違う。

この世の雛形となるような上の次元を想定するのは楽しいかもしれないが、それでは宗教組織の連中が仕掛ける罠から抜け出せない。

ともかく、何であれ客観的に検証してみようなんて姿勢で生きていると、大事なものを見失うだけだ。

おいらがどれだけキミのことを愛しているか、客観的に検証してみようなんて奴よりも、何も言わずにガバッとな(これも怖いか‥)の方がうまくいくのではなかろうか。

科学的態度とやらで懐疑的であるのが知性の高い人って風潮があるが、そんな人に限って肝心なところは盲目的に奴らに盲従してたりするんで、ウソ8が本当かどうか試してやるっていう奴らや、はなっから有り得ないって否定してる奴らは、脳内お花畑全開のバカ共ってこと。

どんな偉い立場にいようと、どんな有名な大学にいようと、ダメダメだよ。

僕らは、ウソ8貼ることでどうなってほしいか、いや、もっと大風呂敷を広げ、ウソ8といっしょに、どう生きたいか、どう在りたいかってメッチャ主観的に取り組めばよいんじゃないかな‥。

その先にある世界に思いをはせて。

荒唐無稽、壮大なプロジェクト。

でも、失敗はしないよっ!

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1003797848.html

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June 14, 2014

エネルギーが出てる?!

いろいろ書こうとするだが、ある程度打ってみると頭の中でくしゃくしゃと消しゴムが動いて消されてしまう。
話題を変え変え挑戦して、もう3度目だ‥。

USO-800の矢印の先からエネルギーが噴出してるのが見えるという動画があったけど、

ウソ8の先端からはエネルギーが出ているのではなく、一つ上の次元が開いていて、この世の裂け目が、そう見えてるんじゃないのかな‥って思うんだけど。

この世・あの世ってのも定義が必要なんで、たいへんめんどくさいんだけど、ちょっと書いてみようか。
ここまで打ってもくしゃくしゃされないんで‥。

みなさんはイチゴ大福はお好きだろうか?

ご存じのように、中心にイチゴ、その周囲にアンコ、その周囲にモチと多層構造になっている。

人間も同様に、肉体、その周囲に感情体、その周囲に思考体と多層構造になっている。

イチゴ大福は、そのままでいくつか並べたりするとお隣さんとくっついてしまうので餅粉がまぶしてある。

人間も、そのままではお隣さんとの境界がなくなってしまうので自我の枠がはめられている。

しかし、何も世の中イチゴ大福ばかりではないわけで、イチゴ大福が誕生するずっとずっと前から、イチゴの入っていないただの大福も存在している。

同じように、何も世の中肉体のある人間ばかりでないわけで、肉体が誕生するずっとずっと前から、肉体のない人間も存在している。

たいていの人の「あの世」ってのは、このイチゴのない大福の話。
霊界がどうのこうのとか、前世がどうのとか、みんなこのレベル。
チャクラがとか、オーラがとか、宇宙人がとか、みんなこのレベル。

しっかっしっ、自分にとって、そこは「この世」なんじゃねえ?って思えるのだ。

ウソ8は、そのレベルの話ではない!(と、私は思う)

餅粉の外に出て見ないことには、話にならんのではないか!(と、私は思う)

どんだけ物理や数学やったって、永遠にやってる自分が全然記述できないでしょ?

そんなん意味があるのかな‥って思わないのかな。

膨大なエネルギー体として存在しているのにね、自分たちが。

で、もって、餅粉の外に出ると、空間認識が変わるわけですよ。

それも、かなり強烈に。

2000年ほど前に、5感を超えて進みなさい、進みなさいって言ってくれた人がいますよね。

それでやっとスタート地点。壮大なロマンがそっから始まるわけです。

餅粉の外は意識の世界。

大きさのない点もそこにはある!

ウソ8は、そんな「あの世」のすごさを垣間見させてくれるスグレモノ。

これから人類は「あの世」まで認識の枠組みを拡張して生きていくわけだが、

ウソ8は、ゼロの発見と同じように、我々の未来を拡張させるツールとなるのだろう。

『ないけどある』

その先にあるのは、神々の世‥。

コメント

1. 岩崎士郎 June 18, 2014

daemonさん、いつも「素敵な刺激」をありがとうございます!

planzさんの「うそ8」を貼ったチョロQと、貼ってないチョロQを並走させると、単独のときはそれぞれまったく違った軌道上を走る2台のチョロQが、並走させると「同じ振る舞い」をする…という実験(お陰様で、もう言葉アレルギーは払拭できたよ!)なんかで「うそ8」の得体の知れなさに

あの頃の私は「今後、どう『うそ8』と付き合っていこうか?」と考え込み、悩み込んでいたのでした。

daemonさんやplanzさんと知り合い、あれだけ実験(といっても、私は「うそ8」を疑っていたワケではないんですけどね…)を繰り返してつかんだハズの「特性」や「法則性」が、付き合うほどに崩れ、次々と新しい顔を見せる「うそ8」の底知れなさに、正直、ビビってたワケですね。

なので、軽ぅ~く「実験する」の「試す」のと言える初心者の皆さんに対して「実験するの試すのと、気安く言うんじゃね~よ! 実験されたり、試されたりするのはお前さんたちなんだゾ!」と思ったワケなんですわ。

別に上から目線で言ったワケではなく、ホントに「うそ8」に対しては、ある種の「アニミズム的」な「畏れ」を抱いちゃってたんですね。

2. 岩崎士郎 June 18, 2014

そこんトコをdaemonさんにビッシリ指摘されて、私は我に返ったワケです。そして「初心」に戻った。

「うそ8」を通して「次元」と「次元」の間を「交通」する「空間エネルギー」を「初動」させるのは…「うそ8」を使う人間の「意識」である!

daemonさんの一喝で、私が、この「いろはのい」に立ち戻った…と思ってくださいや。

100円硬貨や星印などの図形も、矢印でさえも、自分で決めた「約束事」として「エネルギーの動く方向」を「設定」しただけなのだ…という、あまりにも単純な事実に気がついたのですわ。

100円硬貨の場合「花柄の刻印してある側から、100と刻印してある側にエネルギー(マイナス電荷)が流れる!」と決めれば、100を上にして左手の手の平に乗せて右手でOリングを作れば、エネルギーは手の平から抜けてしまうのでOリングは簡単に開き、表裏を逆にして花柄を上にすれば、Oリングは簡単には開かなくなるのです。

それが、この「約束事」を「反対」に「切り替え」て「100から花柄にエネルギーが流れる!」と規定すると、Oリングの結果は、ウソのように簡単に逆転してしまうのです。

3. 岩崎士郎 June 18, 2014

また「与」と書いた紙切れを左の手の平に乗せて右手でOリングを作ると、このOリングは開きにくいのですが「奪」と書いた紙でやると、簡単に開いてしまいます。

これは、2つの「漢字」のもつそれぞれの「意味」を「意識」が理解している結果…これらの「漢字」に「意識」が「誘導」されて、これらの「漢字」の意味する通りの「現象」が起こってしまうワケです。

「矢印」については、おそらく全世界、全人類の「共通認識」「約束事」として「尖端の向いている方向に誘導されなさい!」という「パターン認識」が「意識」の中に「刷り込み」されているのでしょう。

要は「『意識』をどちらの方向に動かすか?」ということですべてが決まるワケで「図形」や「矢印」は、すべての「端緒」「原動力」となる「意識」を動かす方向を「指示」する「道標」に過ぎなかったワケです。

2台のチョロQ実験は、たとえば、左右の目を別々に動かせるとしたら、それぞれが単独で走った時と同じ軌道上を走るでしょうが、滅多にそんな器用な人はいませんから、

2台同時だと「意識」を「誘導」されやすい「うそ8(矢印)」を貼ってある方のチョロQと「同じ目線」で「意識」が動いてしまい、結果「うそ8」を貼ってない方のチョロQも、貼ってある方と同じ(というか、平行な)「軌道」上を走ることになるのではないか?

てなことになり、今まで数年かかって決めてきた「うそ8」の「ルール」というのは「矢印」や「図形」ありき…の、極めて低いレベルの理解であったことが分かったのです。

うそ8」に関する「ルール」の基本は、初めに「意識」ありき…だったのですね。

4. 岩崎士郎 June 18, 2014

すると「うそ8」で起こること…というのは、結果的に、daemonさんの「キラリン」を誰でもできるようにした結果起こってくることなのだ!…と理解できるようになるワケです。

自動車の専門家に限って「うそ8」で起こる現象が極めてプア~なのは、これまでの体験や自動車工学的な常識に縛られた彼らの「意識」が、起こってくる「現象」を、それら既存の「現象」の「範囲内」に縛り付けてしまうからかもしれません。

まあ、とりとめもなくなってきましたが、daemonさんの一喝以来、私の言葉アレルギーは、このようにして霧散していったというワケです。

次に「うそ8」の「尖端」から「エネルギー」が出る…という話ですが、別にウソではないので、それはそれ…ということでスルーしてください!

みなさんが「次元」についてもう少し慣れてきたら、daemonさんのおっしゃる方向で話を進めてみようと思っています。daemonさんかリサ・ランドールか?…というレベルの話は、もう少し先にしますね!

5. daemon June 19, 2014

コメントありがとうございます。
毎度ひっかき回すような発言となってしまいすみませんです。
悪意はないので、許してくださいです。(笑
皆でウソ8パワーで行くとこまで行きたいですね~♪

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1004423420.html

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June 15, 2014

いろいろとメンドーな時は‥

今日は法事があった。
僧侶が来たとたん、非常に気分が悪くなった。
読経が始まると、ぶっ倒れるんじゃないか‥と冷や汗かくほど悪くなった。このままじゃやばい。

そっと出ていこうか、と思ったが、それは難しい空気だった。
そうだ、意識をここから外そう♪

自分があれこれ画策して法事の邪魔をしては悪いと思ったのだ。
しかし、拍子木を打つ音が妙に耳障りで全然ムリだった。

う~む、未熟者のオレ‥。(苦笑
さて、どうしたものか‥と、卒倒しそうな気分の悪さと戦いながら思案数分。

ふと、浮かんだのがウソ8☆バージョン!
まず、耳障りな読経の声と拍子木の音の嫌な波長を○☆であっちの世界へ流し込んだ。

うん、ずいぶんマイルドになった。
これなら、ここから離れられるぞと思ったのだが、気分の悪さがさらに加速して意識が整わない。
苦闘しているうちに、目に見えない嫌な人(というかかたまり?)たちがいっぱい坊さんについてきている気がした。

まず、自分と縁者を立体ウソ8で囲み、さらに☆で包んだ。
そして、嫌なかたまりを坊さんのところに設置した○☆に投げ込んでやった。

わずらわしい音波同様にスーッと消えていく。
ひょい、ひょい、ひょい、ひょい‥と、いったい何体放り込んだだろうか。

気づくと、もう投げるものはなくなっていた。
目を開くと、ウソのように空間がきれいになっており気分の悪さも消えていた。
空気清浄器でもかけたのかと思うくらい澄んだ空気の中で法要は進んでいった。

焼香と読経が終わり、有り難い法話(笑)を頂戴した後、坊さんがこれで終わりです的な挨拶をした時に驚いた。法話でしゃべっていた声と、全然違う声に戻ったからだ。
なんだか、よく分からないのだが、無事最後までそこにいることができたのでメデタシメデタシということで。

昔は、メンドーな時は意識を同調させて、あれこれ手を尽くしてみたり‥というようなことをやっていたのだが、☆を使うと、労力が激減するので便利である。

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1004485091.html

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一人のんびり至福の一時

最近、身辺が騒がしい。
ヨガ指導を再開した辺りから徐々に始まり、ブログを再開したり、フェイスブック始めたりしてからは、特に。

肉体をまとった人も、そうでない人も、ザワザワしてる。
さらに、なぜか気を抜いてボンヤリするってことができなくなってて、リラックスできない。
ちょうど、それはUSO-800を車に貼った後の感じに似ている。

貼る前は音楽かけながら暢気に車任せに運転してればオッケーだったのが、貼ってからはのんびり感がなくなり気が抜けなくなった。それまで気を抜いて運転していたわけじゃないので表現がむずかしいのだが‥、貼る前はブレーキ踏めば踏む力に応じて減速してたのが、貼ってからは「減速するぞ」という意識を保っていないと車速が落ちにくくなった。加速する時も、曲がる時も、すべてそうだった。すべてに意識を張り巡らしていないといけないので疲労感がつのった。徐々に慣れてきて、自然体で運転できるようになった。

その時と同じしんどさがある。
夜寝てる時も、それは続いている気がする

呼吸法でリラックスとか、瞑想でこの世からちょっとおさらばとか、ちょっと意識をスライドさせて安全なところに避難する、そういうことができなくなっている。そういう感覚がなくなっている。

これが『覚醒』という感覚なのかと思ったりするけど、本当のところはよく分からない。
覚悟を決めて、受け入れて、あとは慣れるしかない。

夕べは多少のんびりできるかな‥と、ラベンダー風呂に入ってみた。
何株もあった庭のラベンダーも、今は一株しか残っていない。
けっこうな古木で花のつきも良くないのだが、今年は例年の3倍くらいの花穂をつけた。
なので、生花をドドーンと投入した豪快なラベンダー風呂にした。

気持ちよかったけど、やっぱりウットリとかボンヤリとか、意識を抜く方向へはもうムリみたい。
きっと、こういう変化が起きているのは自分だけじゃないのだろう。
つくづく文明の転換期なんだな‥と思う。

生まれてくる前の記憶なのかどうかは分からないが、
小さい頃から忘れずに心の中にある事柄が、
自分の内側の世界にも、外側の世界にも、実現してきて、
今、その2つの世界が重なり合おうとしている。

私は、
もう、どこにも向かわないのだろう。
きっと。

コメント一覧

1. 岩崎士郎
June 30, 2014

ウソかマコトか? 本日(あ…もう昨日だな?)「人間の地球への輪廻転生は今回が最後!」と、私の信頼するある人物に聞かされました。

ということは…過去、何回転生したかは知りようもないが…私ももう、この地球へは転生することはないということになりそうです。

すると…私の場合は…もうどこへも行かないんじゃなくて…行けないかもしれないな?…なんて…死んでみなければ分からない問題を抱えたか?

2. daemon
June 30, 2014
岩崎さん、それなんかすごーい!!!

自分は、ずっとそのつもりで生きてきたのですよ!
物心ついた時から、ずっと。

解脱とか、即身成仏とか、ふるくっさい言葉で。
で、最近、それってオレだけじゃねえよな‥って思い始めていて‥。

いやっほ~、なんかスゴーイ!
詳しいお話あれば、よろしくお願いしたいです。

3. daemon
July 02, 2014

でも‥。
「人間」って言葉で一括りにできるほど、ことは『単純』ではないではないと思うのだ。

4. 岩崎士郎
July 03, 2014 23:15

そういえば、子供の頃「ボクは地球人類最後の世代なんだ!」と強く思い込んでいた頃があったのを思い出しました。

8歳で死ぬことへの嫌悪を覚え「この愛しい肉体は、ボクが死んだらどうなってしまうのだろう?」なんて…生への執着が恐怖を呼び起こしたりして…母親と担任の先生が相談して、近所の教会の日曜学校に通って賛美歌を歌っているうちに恐怖から解放されて…それから50年近く、そのことを忘れていました。

結婚して子供もできたから「あれは夢でも見たんかいな?」と思っていたのですが、子供たちはたぶん、クリスタルとかレインボーとかいうたぐいの子供なんでしょうね。やっぱりボクの世代で、人間は再び地球へ転生することはないのでしょう。最近、そんなことを思います。

5. 岩崎士郎
July 03, 2014

「人間の地球への輪廻転生は今回が最後!」と、私の信頼するある人物に聞かされました…というのは…6月29日(日)「宇宙生命研究所」所長の井上恒弘(いのうえ・たけひろ)さんの「宇宙語講座」を受講した折、その井上さんによってもたらされた「情報」だったのです。

井上さんは、私とUFO研究家の竹本良氏がやっているインターネットTV番組「spiritosphere」のゲストにおいでいただいた縁でつながった間柄。

「宇宙語」というと、かなり突飛な感じがすると思いますが、私は「語」というよりは「情報」という風に理解したのです。
参加者は「宇宙」から降りてくる「情報」を、自らのノドを使って人間の音声…つまり「言葉」に変換して喋るのです。

「言葉」というよりは、むしろ意味不明の「音」もしくは「音色」…もちろん「言語」に近い形で話す人もいます。同じ意味、同じ文章でも、話す人によってまったく違うものになります。

みなさんかなり上手に「言葉」に近い「音声」を発する中、私は「あ~」「う~」「ん」とか、かつての大平首相(古いな?)みたいな音しか発生できません。

ところが、相手の目を見ながら、この、一見おかしな行為を真剣になって続けておりますと…なんとなくながら、相手の言わんとすることが分かってくるのです。まさに翻訳のいらない共通言語…いや情報です。

6. 岩崎士郎
July 04, 2014

なんとなく宇宙人だった頃に住んでいた惑星の環境や、住居の様子が脳裏に浮かんできたり…これは普段の私ならとても信じられないような不思議極まりない…しかし容認したくなるような懐かしい感じが胸に蘇ってきたりして…浮かぶ光景も、話している相手もすべて懐かしい。
そんな不思議極まりない空気の中で、井上氏が「人間の地球への輪廻転生は今回が最後!」という言葉を放ったのです。
その言葉を聞いて「そうだったのか…」と、私は、妙に納得してしまった…という話なのです。
ここから先は、また機会のある時に話しましょう。まだ、頭の中で消化しきれないことがたくさんあるので…とりあえず今回は、冒頭の言葉が出てきた状況についてだけお話ししました。

7. daemon
July 05, 2014

岩崎さん、
コメントありがとうございます。とても興味深いお話ですね‥。
やっぱり岩崎さんもか‥と思いました。だって、そういうお顔だちされてますもん。(笑

私たちは、この地球に来る前はどこか違う場所で暮らしていたんだと思います。この次元(物質世界)とは、だいぶ違う環境だとは思いますが。

自分は、地球に生まれ落ちる前に仲間とした口論を今でもハッキリ覚えています。ひょっとしたらその時の名前(?)というのも幼い頃は覚えていたようです。

終了!

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1005562860.html

July 06, 2014

岩崎さんのコメントを読んで、自分ももう少し語ってみてもいいかな‥と思いました。

自分の場合、生まれてくる前の世界というのは、この世の延長のような世界ではありませんでした。

なので、この世に生きるというのはある意味サファリツアーに出かけるような感じなのだと思います。

ユミットさんやアシュターさん達は、おそらく半身半霊の方達だと思いますが、自分には身はありません。

なので、宇宙船のような科学技術チックなものにあまり縁はなく、理論的な話をされると脳が止まります。

重い体を引きずって、何かを食べたり、暇をつぶしたりして、「生活する」とか「暮らす」という感覚はありません。

思ったことは思った通りでしかないので、目標を立ててがんばるなんて習慣もありません。

この世の感覚は不思議ですよね。とにかく何をするにも重い。
だから、水に浸かっている時は至福の一時です。
川でも、海でも、お風呂でも。とにかく軽いし、リラックスしていられます。

あと、体や生体エネルギーが触れ合う感じも気色悪いですね。
よくも、まあ、皆さん、ひしめき合って暮らしていらっしゃるな‥と感心しています。
私にはムリです。

しかし、波長の合うもの同士のふれあいがとても素晴らしいものであることは理解できるようになりました。

言葉に出さなくても思っただけで伝わる世界からすると、この世の仕組みはまどろっこしいです。

根底ではお互い共通の理解に至っているのに、表面ではそれと間逆な事言ってたりやってたり‥。

私は、子どもの頃から相手の心が読めるので、真の言葉か嘘偽りか分かりました。

学校の先生が、ほぼ100%嫌いになったのも、ここに理由があります。

顔で笑って、心で憎む。

あらま~、なんて器用なの~ってしょっちゅう思ってた。

でも、それを指摘したからって何のトクにもならないし。

心の中でどれだけ思っていても、言葉に出さなきゃ認められない。

言葉に出してみたって、書面になってなきゃ認められない。

なんちゅう不自由な世界に住んでいるんだろう。

悪意を持って生きている人間のためのシステムじゃんか‥。

‥と、まあ生まれる前から分かっていたとは言え、想像以上にハードでしたね。

この世は。

絶望して死のうと思ったのは、母親の産道を通っている時。

へその緒を首にグルグル巻いていて、出てきた時はチアノーゼ。

お尻叩かれ、息を吹き返したのが良かったのかどうだったのか‥。

父親がつけてくれた名前を全否定し、「自分はANANだ!」と言い張ったのが2歳の頃。

何度諭されても頑として認めない、超かわいくない2歳児。

それ以来、父親との関係は悪化の一途。

そんな、こんな、で、心安らぐ場所なんてのはなく、早く人生おわんないかな‥って、何やってる時も思っていました。

ホント、ダメ人間の典型です。

しかし、わざわざ危険を冒して冒険に出る以上、大切なテーマがあるはずです。(笑

今回のテーマは・・・

今の人類の存在の可能性に関わる問題。

大変デリケートかつネガティブな内容なので公開を躊躇しますが、まあ終了宣言が出たので言ってしまいましょう!

これが出生前の口論の原因であるわけですが、

地球人類は覚醒できるのか否かという議題において、聡明な方達の意見は「ムリ!」「不可能!」だったわけです。あちらの世界では、ものすごく理路整然と、 その無理さ、不可能さというのは証明されております。もう、それは覆しようがないほど完璧だと思います。実際、私も今のままなら滅ぶしかないと思っていま す。思っています‥と言ってますが、「今のままなら滅ぶ」、これは確定事項です。

で、へその曲がった思慮の足りない熱血派の私は、「いやいや、そんなことないだろう、人類だってそこまで馬鹿じゃないし、土壇場でなんとかなるはずだ~!」と熱弁ふるって、総すかん。

「ようし~、見とれ~」と飛び出るように舞い降りてきたっちゅうわけです。

ところが、根っからの根性ナシなので、早々から自殺未遂かよ‥ってな話で。

でもね、いろいろがんばってきたんですよ。小さい頃からコツコツと。でもね‥。

『意識の進化 or 絶滅』

壮大すぎて、誰にも伝わりませんわ。

無邪気に親にも言いましたよ。

賛美歌歌わされることはありませんでしたが、変わりに私が引っ込みました。

高校時代は、よく哲学やら宗教やらの議論をしました。

ここでも私の話の核心は、 『意識の進化 or 絶滅』でした。

ところが、拡げる風呂敷の大きさが違いすぎるのか、人生と言う土俵の捉え方が違うのか

、話がかみ合うことはありませんでした。

議論の相手だった連中は、教授とかに収まっちゃってたりするわけなんだが、奴らには危機感がないんだよね。

フリーメーソンとかイルミナティとか言う連中だって、全然わかっていないのに、こねくり回して、馬鹿ばっかなのに、誰もそれすら気づかない。やられたい放題やられちゃってても気づかない。気づかないから止められない。

神々や仏たちの嘘にも気づけました。

連中、インチキばっかやってます。

他人の意識の覚醒なんてもんに興味ありません。

既得権益層の最たるものが、神々の世なんだってこと言っちゃっていいんかな?

って、もう言ってるけどね。(笑

覚醒されたら、自分らを超えられちゃうから、させたくないわけ。笑えるけど、ホントの話。

日月神示とか有り難がっているようじゃ滅亡は免れないよ。

偉そうなこと言ってるけど日月の親父は、救う力なんて持ってないよ。そんな権限もねえし。

まあ、そこに自分をはめこんでいい思いしたい連中が、それを支えているわけだがね。

いまだに「神聖」なんてカテゴリーを勝手に作り出して、罠にはまっているようなスピ系な連中にもがっかりだしね。

自分たちが善だなんて宣言する力なんて、相対世界に漂う微塵子にありもしないのに、公言してはばからないニューエイジャーのおっさんおばちゃんにもうんざりですし。

二元の世界にあって真理など手が届くわけがないのに、どちらか片側を善としそちらに向かわせようとする構図の大本締めがルシフェルだってのもあまり知られていないかもね。

いったい何が悪魔なのか、何がアンチキリストなのかも、分かっていない人が多すぎてイヤになる。

神も悪魔もルシフェルなのだってこと。

バチカンがメーソンに乗っ取られって騒いでいる連中もいるけど、最初からそうだったってだけの話。

おバカなルシフェルに説教するのにも疲れた時期もありましたね。

まあ、でも、彼の名誉のために、

ここだけの話、

奴は、もう止めたいと思っている。

彼は、分かってやっていたから、軌道修正は早い。

しかし、慣性の法則って言うのか、フォロワーの勢いが凄すぎて、彼の力では止まらないとこまで来ている。

受け止めて心中すれば救いの道も拓けるだろうが、まだ彼にそこまでの覚悟はない。

思案にくれている奴を救えるのは、奴だけだ。

しかし、今のところ、そこまでの気概はないんだな。

というわけで、終了に向かってひた走る、このキチガイ列車。

覚醒する、夏!

 

ナイフの断面はウソ8?

仮に屋印の尖端からパワーが出ているのなら、

矢印の先を自分に向けて持ったときにどうして力が抜けるのか?
いかん、いかん、このテーマは、今は触れないで♪なので、違う話題で。

包丁など刃物の刃は、なぜ物を切ることができるのか?

力の合成によって作用点(刃先)に大きな合力を発生させ、対象物を引き裂くからだって、物理で習った気がする。

本当にそれだけだろうか?

鋭利な刃物で物を切るときの、

たとえば、ナイフを研ぎあげて、丸めたティッシュで切れ味を確かめるとき、

あの、ついウットリしてしまう、吸い込まれていく感覚は何だろうか?

刃物の断面は、切る対象に向かってウソ8の形になっている。

刃の中には、無数のウソ8が並んでいるのだ。

古代には銅剣なんてものがあって、およそ武器として実戦で使える代物ではないのだが、どうして有り難がられたのか?

祭事に使ったんだろ的に解釈されているが、もっと実利的なものであったのではないだろうか?

切っ先を向けられた時の不快感がウソ8開発のきっかけだったそうだが、尖ったものの先の空間は、

いかん、いかん、

ヤッパリ話がそっちに向かってしまう。

でも、なんだか、今そこが気になるのだ~!

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1012857941.html

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USO-800と空中浮揚①

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1015938257.html
December 19, 2014

『ニコラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ~ 忘れられたフリーエネルギーのシンプルな原理』井口和基著の下巻p136「重力に最も類似なものは表面張力である」を読んでいて、USO-800と空中浮揚とが結びついたので、それをここにメモしておこうと思う。

エーテル、ダークマター、何て呼ぼうと構わないが空間は何かによって満たされている。そして、それは多分に精神的な何物かである。そして、何らかの力(意志?)が発動することによって、それが変化によって物資として我々の世界を構成している。

ここまでは、ヨガの体験によって自分としては確固たる事実であった。

USO-800はその形状によって矢印の向きにエーテルを切り裂く。結果、尖った方のエーテルの圧が下がるので鉛直上向きであれば重力を軽減し、進行方向であればスピードアップするという結果をもたらすと考えていた。ここまでの話は、どこかにアップしたと思う。

ところが、これだといつまで経ってもウソ8車は浮かないのではないか‥とも思っていた。重力や摩擦力など抵抗は減るけど、浮くまではいかないだろう、と。

重力と言うのは、物体によって押しやられたエーテルが物体を押し返す力だと考えていたが、そこがアマチュアのアマちゃんだったのだ!

重力とは引っ張り合う力。
確かに、そう習ったけど地球上で生きていると忘れちゃうよね‥そんなこと‥。汗

USO-800と空中浮揚②
そんな基本を思い出しながら、読んでいてピピっときた。

水の中の油粒子は周囲の表面張力を減らすために互いにくっつく、

それが重力の仕組みだ!

ふむふむ、押しやられて戻ろうとするのではないのだな。

「重力は空間(エーテル)の表面張力」

ちょっと展開させてみると‥。

表面積を少なくするとエーテルの表面張力が減る
↓↓↓
ウソ8(立体)の先端と底部とではエーテルの表面張力に差異が生じる
↓↓↓
表面張力の大きい方から小さい方へ【力】が生じる

ってことなんじゃないか。

USO8車の前方が穴のあいたような感じになるのはエーテルの表面張力が小さくなっているからではないか。

何らか「虚」の状態になっていると思っていたのは、エーテルの表面張力だったのか。

前に、いわゆるアダムスキー型のUFOは断面図が上方向と水平方向のウソ8になっていると記したことがあるが、やはり、その見立ては間違っていないようだ。

続く

USO-800と空中浮揚③
ちょっと脱線するが‥

誰にでも見えるオーラ講座基礎編(笑)で、指の間のもやもやを見るという技があるのだがが、これは人体から発せられるエネルギーではなくて、空間(エーテル)が表面張力によって圧が増して可視化した状態なのではないか‥とも考えられる。

う~ん、なんだか物質化の核心にドンドン近づいている予感‥。(笑

話をもとに戻して‥

UFOを浮かすには、反重力を生み出せばよい。
反重力を生み出すと考えると分かりにくいが、要するに重力を消してやりさえすればいいわけだ。

【重力=空間の表面張力】

なので、反重力を生み出すには、周囲の空間(エーテル)の表面張力を消してやればよい。

空間(エーテル)の表面張力を消すには、空間(エーテル)と親和性が高くなればよい。

空間(エーテル)=意識であり、空間から生まれた物質はもともと精神素材からできているのだから、「おまえさん、故郷はどこだい?」って物質にどっから来たのかを思い出させてやればよい。(笑

「物質にも意識があって‥」とか、「キラリン‥」とか、言ってる人がいたけど、けっこうイイ線いってると思わない?

キラリンすると、特に水晶なんかすごく軽く感じられるように変化するから、あれってもしかして、質量が小さくなってたわけじゃなくて、重力が低減してたんかな‥。

肉体のまま空中浮揚するヨギの話があるが、これも、この説で完璧に説明できてしまう。

瞑想によってヨギの肉体が空間(エーテル)と親和性の高い状態になると、空間の表面張力が減少し、宙に浮く、というわけだ。

では、どうしたらふつうの物体が空間(エーテル)と親和性が高くなるのか、表面張力という名の緊張感を生み出さずに存在できるようになるのか?

精神的な側面、電磁場的な側面、どちらからのアプローチでもOKだろうし、組み合わせてもいいだろう。

空中浮揚で有名な成瀬雅春氏がテレビ出演された際、さあ、これからという段になって画面全体がシャーっと砂の嵐化してしまった。

しかし、氏は顔色一つ変えず、「そうなんですよね~写真には写るんだけど、映像撮ろうとすると必ずこんなんなっちゃって‥」と言っていた(と記憶している)。

出演者の中には茶化そうとする人もいたように思うが、私は氏の真っ直ぐさに嘘はないと思った。

おそらく、瞑想状態に入っていくと身体を取り巻く電磁場が大きく変化し、宙に浮く状態にまでなると強烈な電磁波を出しているだと考えられる。だから、テレビカメラに強烈なノイズが入って撮影不能になる。

成瀬氏は過酷なアーサナ行を中心にされてきた人なので、そうした電磁的な身体の変化が大きいのではなかろうか。

ってことは、

USO-800の立体主装置を上向きにビッシリ敷き詰めた板は浮くのでは?

その上で瞑想すると強烈に浮くのでは?!

でも、痛い?(笑

おしまい♪

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空間エネルギー唯識掲示板より

私はヨットには乗ったことがありませんが、帆にいっぱいに風をはらんだヨットは、後ろから風に押されるように海原を滑っていくのだと想像します。

いっぱいに空間エネルギーを受けたアルミ傘は、見えない強大な力で、後ろから押されているような感覚を与えてくれます。まるでスペースヨット…といった趣の素晴らしく感動的な走りを味わうことができるワケですな。

しかしねぇ、私のやっていること…すべて「真っ赤な真実(ホント)」なので、あれこれ考えるより、私に聞くより、ご自分でやってみられちゃいかがです?

基本的に、何にもトライしてみることなく、気楽に結論を尋ねるというのは、相手に失礼だと思いますよ。聞く前にやれ!…それが私のお答えです。

ただし、やってみろと言っても、せっかくのアルミ傘も、クルマの必要な部分にU8テープが貼ってあるのとないのでは効果が天と地ほども違います。

夢のような、奇跡のような、ちょっと他じゃあり得ない、驚くべき現象を、身をもって体験したいと思うならば、それなりの努力が必要なのですよ。

世の中、そんなに甘かぁありませんよ! やってみて、失敗して、ようやくつかむからこそ「成功」は感動的なのです。 私には他人の感動をたやすく奪う趣味はありませんよ。

こんなジョークがあります。イエス・キリストは、今、地獄にいるらしいのですが、彼が地獄に堕ちた理由は「苦労」や「人生の重荷」は、人が成長するための「糧」となるのに「すべての重荷は私が背負う!」といって奪ってしまった罪によるということです。

ね…苦労は買ってでもしろ!…と言います。手を抜くんじゃないよ!

2015年 6月25日
http://9322.teacup.com/u8008/bbs/54

矢印の先を自分に向けて持ったときにどうして力が抜けるのか?
いかん、いかん、このテーマは、今は触れないで♪なので、違う話題で。

包丁など刃物の刃は、なぜ物を切ることができるのか?

力の合成によって作用点(刃先)に大きな合力を発生させ、対象物を引き裂くからだって、物理で習った気がする。

本当にそれだけだろうか?

鋭利な刃物で物を切るときの、

たとえば、ナイフを研ぎあげて、丸めたティッシュで切れ味を確かめるとき、

あの、ついウットリしてしまう、吸い込まれていく感覚は何だろうか?

刃物の断面は、切る対象に向かってウソ8の形になっている。

刃の中には、無数のウソ8が並んでいるのだ。

古代には銅剣なんてものがあって、およそ武器として実戦で使える代物ではないのだが、どうして有り難がられたのか?

祭事に使ったんだろ的に解釈されているが、もっと実利的なものであったのではないだろうか?

切っ先を向けられた時の不快感がウソ8開発のきっかけだったそうだが、尖ったものの先の空間は、

いかん、いかん、

ヤッパリ話がそっちに向かってしまう。

でも、なんだか、今そこが気になるのだ~!

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1012857941.html

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USO-800と空中浮揚①

http://blog.livedoor.jp/har_ich/archives/1015938257.html
December 19, 2014

『ニコラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ~ 忘れられたフリーエネルギーのシンプルな原理』井口和基著の下巻p136「重力に最も類似なものは表面張力である」を読んでいて、USO-800と空中浮揚とが結びついたので、それをここにメモしておこうと思う。

エーテル、ダークマター、何て呼ぼうと構わないが空間は何かによって満たされている。そして、それは多分に精神的な何物かである。そして、何らかの力(意志?)が発動することによって、それが変化によって物資として我々の世界を構成している。

ここまでは、ヨガの体験によって自分としては確固たる事実であった。

USO-800はその形状によって矢印の向きにエーテルを切り裂く。結果、尖った方のエーテルの圧が下がるので鉛直上向きであれば重力を軽減し、進行方向であればスピードアップするという結果をもたらすと考えていた。ここまでの話は、どこかにアップしたと思う。

ところが、これだといつまで経ってもウソ8車は浮かないのではないか‥とも思っていた。重力や摩擦力など抵抗は減るけど、浮くまではいかないだろう、と。

重力と言うのは、物体によって押しやられたエーテルが物体を押し返す力だと考えていたが、そこがアマチュアのアマちゃんだったのだ!

重力とは引っ張り合う力。
確かに、そう習ったけど地球上で生きていると忘れちゃうよね‥そんなこと‥。汗

USO-800と空中浮揚②
そんな基本を思い出しながら、読んでいてピピっときた。

水の中の油粒子は周囲の表面張力を減らすために互いにくっつく、

それが重力の仕組みだ!

ふむふむ、押しやられて戻ろうとするのではないのだな。

「重力は空間(エーテル)の表面張力」

ちょっと展開させてみると‥。

表面積を少なくするとエーテルの表面張力が減る
↓↓↓
ウソ8(立体)の先端と底部とではエーテルの表面張力に差異が生じる
↓↓↓
表面張力の大きい方から小さい方へ【力】が生じる

ってことなんじゃないか。

USO8車の前方が穴のあいたような感じになるのはエーテルの表面張力が小さくなっているからではないか。

何らか「虚」の状態になっていると思っていたのは、エーテルの表面張力だったのか。

前に、いわゆるアダムスキー型のUFOは断面図が上方向と水平方向のウソ8になっていると記したことがあるが、やはり、その見立ては間違っていないようだ。

続く

USO-800と空中浮揚③
ちょっと脱線するが‥

誰にでも見えるオーラ講座基礎編(笑)で、指の間のもやもやを見るという技があるのだがが、これは人体から発せられるエネルギーではなくて、空間(エーテル)が表面張力によって圧が増して可視化した状態なのではないか‥とも考えられる。

う~ん、なんだか物質化の核心にドンドン近づいている予感‥。(笑

話をもとに戻して‥

UFOを浮かすには、反重力を生み出せばよい。
反重力を生み出すと考えると分かりにくいが、要するに重力を消してやりさえすればいいわけだ。

【重力=空間の表面張力】

なので、反重力を生み出すには、周囲の空間(エーテル)の表面張力を消してやればよい。

空間(エーテル)の表面張力を消すには、空間(エーテル)と親和性が高くなればよい。

空間(エーテル)=意識であり、空間から生まれた物質はもともと精神素材からできているのだから、「おまえさん、故郷はどこだい?」って物質にどっから来たのかを思い出させてやればよい。(笑

「物質にも意識があって‥」とか、「キラリン‥」とか、言ってる人がいたけど、けっこうイイ線いってると思わない?

キラリンすると、特に水晶なんかすごく軽く感じられるように変化するから、あれってもしかして、質量が小さくなってたわけじゃなくて、重力が低減してたんかな‥。

肉体のまま空中浮揚するヨギの話があるが、これも、この説で完璧に説明できてしまう。

瞑想によってヨギの肉体が空間(エーテル)と親和性の高い状態になると、空間の表面張力が減少し、宙に浮く、というわけだ。

では、どうしたらふつうの物体が空間(エーテル)と親和性が高くなるのか、表面張力という名の緊張感を生み出さずに存在できるようになるのか?

精神的な側面、電磁場的な側面、どちらからのアプローチでもOKだろうし、組み合わせてもいいだろう。

空中浮揚で有名な成瀬雅春氏がテレビ出演された際、さあ、これからという段になって画面全体がシャーっと砂の嵐化してしまった。

しかし、氏は顔色一つ変えず、「そうなんですよね~写真には写るんだけど、映像撮ろうとすると必ずこんなんなっちゃって‥」と言っていた(と記憶している)。

出演者の中には茶化そうとする人もいたように思うが、私は氏の真っ直ぐさに嘘はないと思った。

おそらく、瞑想状態に入っていくと身体を取り巻く電磁場が大きく変化し、宙に浮く状態にまでなると強烈な電磁波を出しているだと考えられる。だから、テレビカメラに強烈なノイズが入って撮影不能になる。

成瀬氏は過酷なアーサナ行を中心にされてきた人なので、そうした電磁的な身体の変化が大きいのではなかろうか。

ってことは、

USO-800の立体主装置を上向きにビッシリ敷き詰めた板は浮くのでは?

その上で瞑想すると強烈に浮くのでは?!

でも、痛い?(笑

おしまい♪

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